京都・伏見が大好き!!
(管理人の自慢話です)


●私は京都の伏見が大好きです。何故かというと、単純に生まれ育ったところだからです。
伏見(ふしみ)は京都市の南部に位置しており、北は京阪電車鳥羽街道駅付近、東は稲荷山を経て醍醐辺りまで、南は宇治川を越えて向島まで、西は淀付近までの広範囲に及びます。
中心部は京阪電車もより駅で云いますと丹波橋〜中書島辺りになるでしょうか。それよりも北は深草と云われ有名な伏見稲荷大社をはじめ由緒ある史跡に恵まれています。

最近では坂本竜馬をはじめとする幕末の舞台としての脚光も浴びて全国からの観光客も絶えません。歴史的に見ても日本史に必ず登場するのが伏見です。400年以上前・・豊臣秀吉が天下統一のひとつの証として建てたのが桃山丘陵にある伏見城(現在の建物は模擬城)であり、秀吉が最期を遂げたのもこの城でした。

また、深草には戦争の大きな傷跡(?)というか・・歴史的に見ても有名な深草第16師団なるものが存在しました。聖母女学院の本館というべき建物はその16師団本部そのものの遺跡として現在も残っています。あと師団街道という名称もそのまま残っています。現在の警察学校や龍谷大学の敷地内にも近年まで当時のまま兵舎なども残っていました。
西浦町一帯は練兵場があった場所です。

このように歴史的に考察してみても、話題に尽きることはありません。

ところが・・昔の(私が子供の頃)京都観光案内図等の地形図を見ると・・京都駅から北部は地図の尺度が正確なのですが、南部はなんと地図全体の四分の一ぐらいまでの間に宇治までの広範囲が略図となっているのです。
まあ・・観光案内図だから仕方が無いのでしょうが、京都駅から下は伏見稲荷大社と宇治平等院ぐらいしか載っていないのです。子供心にももっと有名なところがあるのに全国区では無い。というのを感じていましたが・・。
最近ではそんな事はありませんが。

昔、左京区の、ある美容室に勤務していた時のこと。
お客様が「あなたはどこの出身ですか?」と私に尋ねられました。 私は自信を持って「伏見です!!」と答えました。
すると・・お客様「えらい田舎ですなあ〜!!不便なとこどすやろ。」私・・絶句!!・・・「いや、そんな事はないですよ〜!!」

確かに・・昭和初期の頃・・一時的に伏見は京都市から独立し、「伏見市」と市制を名乗ってた事があるようです。
伏見人(ふしみびと)の活力の根源を見るような気がしますが、僅か2年後に京都市から戻ってきて欲しいとの依頼に於いて、またもや伏見区となってしまったのです。
今でも・・・近所のお婆ちゃんに「今日はどこ行かはんのん?」と声を掛けると「ちょっと京都に行ってきまっさ!!」ということがあります。

伏見というところは京都の中に存在する独特の文化圏であり、本来の京都市の人たちとは別個のプライドを持った地域であると思うのです。

話し方(方言)はやはり京都弁が基本となっておりますが、微妙に大阪弁に似たイントネーションも感じられます。
これはやはり・・伏見区中心部は港であったという名残りで当時・・大阪商人との付き合いの中で培われたものであると思われます。
竜馬さん遭難の地として有名な寺田屋さんも船宿として存在していました。そうです、淀川から伏見の港を通じて行き来があったのです。

歴史上の話はこれくらいにして・・・

京都の人は・・お洒落であり自己の美しさを活かすことの器用さにかけては独自のものがあります。
長年の都人としてのプライドがそうさせたのでしょう。他県から見れば冷たく、排他的に誤解される面もありますが、新しいものを追及しつつも独自のオリジナリティーは変えないというのは他府県の人から見れば逆に羨望となっているのは確かなようです。 伏見人にもそれは共通であり、京都で経験を積んだ美容技術はおそらく何処に行っても通用するものであると自負しております。
マスコミにも時折取り上げられますが、食文化にしてもやはり一流であり、京料理をはじめラーメン屋さんに至るまで洗練されています。
美味しくなければ直ぐに閉店となりますし、少々美味しくても、京都の人は並んでまで食べるのを拒みます。 新しいお店が開店しても、少し遠巻きな感じで暫く観察してから行くという、お店の人にとっては非常に難しい気質も少々ありますが、気に入れば一生贔屓にするという嬉しい面のほうが大きいのです。だから半端なお店では前述のように直ぐに潰れてしまいます。
京都はいろんな業種のリサーチによく使われるという話を聞いたことがあります。 たとえば京都で先行販売して売れれば、全国発売しても必ずヒットするというのです。

そういった環境は、私が幼い頃から生まれ住んで得た教訓から学習したものであり、洗練された文化も風習も本物!ではないか!!と考えています。京都駅から少し南側のこの伏見というところは少々泥臭い?(失礼)面もあるかもしれませんが、やはり京文化の先端を担う土地柄であることに間違いはありません。

だから・・私は伏見が大好き!!なのです。伏見にお店を構えるというのが当然のように思っていました。目立つ場所でお店を始めたら繁盛して当たり前。でも、実力さえあれば場所が少々悪くても、必ず認めてくださるお客様がおられる!という恐るべき自信も持ち合わせておりますので・・もう大変です。(あ〜あ自信過剰?・・でも自信が無くてお客様の髪を触るのは大変失礼ですので、あえて・・・)

たくさん・・失礼な事やら・・好きな事を書いてみました。
京都・伏見・・そんな事は無い!!と批判される節もありますが・・どうかご容赦ください。

伏見写真集

全国お稲荷さんの総本家である伏見稲荷大社。初詣客は全国トップクラス。後ろに控える稲荷山には山頂まで鳥居のトンネルが続き圧巻!!
管理人は子供の頃、ここでよくゲンジ採り(クワガタ・カブト虫)に熱中しました。
稲荷山から見た伏見区の夜景。
伏見桃山城。昭和に造られた鉄筋コンクリート造りの模擬城だが、伏見の街から見た光景はやはり伏見のシンボル!!
高校ラグビー界の名門、伏見工業高校グラウンド。管理人が通う頃は非常に荒れてたといわれたが、そんな事は微塵にも思った事が無かった。楽しい日々を過ごしていた記憶しか残っていない。
深草大亀谷付近から名神高速道路を挟んで京都タワーが見える。
伏見中心街にある月桂冠大倉記念館。近くの宇治川派流の川には当時を偲ぶ十石船が運航されている。
ご存知、寺田屋・・鳥羽伏見の戦いの際、焼けてしまったのでは?という疑惑が最近ありますが、それはそれ。竜馬の生き様のひとつを担う建物として見てみましょう。
こちらは時代劇にもよく使われる東高瀬川沿いの松本酒造の蔵です。
これはやはり伏見中心部にある黄桜酒造の蔵。いい味だしてます。
月桂冠・大倉酒造の蔵。手前の川を往くのは十石船。伏見はやはり酒蔵が多いです。
淀川南詰めからみた伏見遠望。桃山丘陵にそびえ立つ伏見桃山城が良いですね。
琵琶湖から流れてくる水は疎水として京都市に潤いを与え、ここ墨染に於いて終局を迎えます。後は暗礁となり濠川(旧伏見城の外堀)に流れ宇治川を経て、淀川となり大阪湾へと流れていきます。墨染の疎水沿いは春ともなれば桜で満開になります。


●伏見といっても写真で紹介したのは極一部です。他にも醍醐や向島・淀など歴史的価値の高い地域がたくさんあります。また気に入った写真や逸話的なものが入手できれば紹介していきたいと思っています。

このコーナーにつきまして・・ご意見、また、面白いお話などあれば教えてください。


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